本庶先生の最近のエッセー・講演より
「私の遺伝子観 ー柔軟な遺伝情報帝国」
京都大学大学院医学研究科
本庶 佑
私が学生時代を過ごした1960年代は、ようやく分子生物学が花開こうとする時期で あった。この頃、生物学ましてや医学は二流の学問と考えられており、およそ秀才と 自負する人が一生を賭けるに値する学問とは思われていなかった。生物学とは単に複 雑な現象を記載するものであり、すべての現象の本質は物理学の法則から導かれるも のであるといういわゆる「物理学帝国主義」の最盛期であった。このような経緯は、 拙著「遺伝子が語る生命像」の序文に書いた。幸いにして私が大学院を終え、米国へ 留学する時期に医学にとって不可欠な高等生物の分子生物学が花を開き始めた。この 時期に哺乳動物の rRNA 遺伝子を単離解析していた D. Brown 博士 と、mRNA から cDNAを作る遺伝子解析法を確立した P. Leder 博士に師事できたのは幸運であった。 ごく自然にその後の高等生物の分子生物学の発展と共に研究生活を楽しみ、今日に至 った私にとって、分子生物学の膨大な知識の中から、結局何を学んだのか、またその 結果として遺伝子とはどういうカ在と考えられるのか、ということが本稿の課題であ ろう。
分子生物学の発展によってもたらされた新しい世界観の第一は、前掲の拙著の中で も述べたが、生命体が基本的に分子からできており、神秘の介在する余地がほぼ無い ということである。そして、遺伝物質の構造と暗号原理の解明により地球上のすべて の生物種が同一の祖先から由来しているという認識が疑いのないものとなったことや 、遺伝子の多型が個人の尊厳の基礎と考えられることも述べた。このような分子生物 学的生命観は今日、すべての生物学者に受け入れられていると思われる。しかし、こ れだけでは生命科学は物理学の法則に従う複雑な現象を解析する学問にすぎないとい う物理学帝国主義の主張を分子生物学が自ら実証したと誤解される危険性があった。 だが、生命科学の原理は物理学・化学の法則から演繹されるのであろうか。生物学の 公理ともいうべき遺伝暗号(トリプレット)や遺伝物質の構造などは物理学の法則か ら導かれる必然的様式とは言えない。J. Monod が「偶然と必然」で述べたように、 今日の生命体の原理は多くの偶然が重なりあって生じた原始生命体によって、極めて 多数の可能性の中から偶然選ばれた一つの様式である。最初に選ばれた情報体系によ って以後の生物現象はその仕組みを規定され、その枠組を抜け出すことはできない。 かくして生物の活動のすべてが遺伝情報に基づくという遺伝情報帝国主義が確立した 。無論、情報体系の内の分子の構造や運動が物理・化学の法則にしたがっていること はいうまでもないが、生物が物理学や化学では考えもつかなかった独自の情報体系を 持つことを分子生物学が明らかにしたことにより、生物学は物理学帝国から独立した 独自の規範(遺伝情報)を持つ学問体系としてここに新たな位置を確立したと言うべ きであろう。生物学を支える法則はメンデルの遺伝の法則とダーウィンの進化の法則 である。一つは親から子へ、今ひとつははるかに長いタイムスケールのなかで、いず れも帝王である遺伝情報の伝わり方に関する法則である。
京都国立博物館長の中川久定先生と中央大学教授の吉田民人先生を中心とする「比 較幸福学」研究班(国際高等研究所)の議論の中で、私は思いがけず楽しい知的啓発 を受け、すべての生物の活動は本当に遺伝子で支配されているのだろうかということ を再考する機会を得た。幸福と感じるのは多様な要因による。基本的な欲望の充実に よって得られる幸福感もあるが、知的な刺激によって受ける幸福感もある。後者の幸 福感の多くは後天的な教育によって生じる。しかもヒトは意志の力で(あるときは無 意識に)幸福感の閾値を変動させることができる。幸福の味わい方は人により、時に より、場所により千差万別である。しかしながら我々が外界からの刺激を全く感知せ ずに幸福感を得ることは不可能である。従って、幸福感と言えども感覚器や知覚情報 処理システムを規定する遺伝情報に支配されている。遺伝情報帝国の住民としての生 物はこれに反逆することは不可能である。しかし、幸いなことにこの帝国の支配は細 かい規制をすることなく、幸福感に見られるように実に多様な幅を持つ上に、外界と の相互作用によってその表現型に揺らぎを加える、誠に寛容なものである。さらには この帝国の憲法は変化しないが法律や規則は次々に変化し、現場に適合するものが進 化の過程で選ばれている。物理学帝国の統治が正確で厳しいのに比べて、遺伝情報帝 国の統治はいいかげんで柔らかい。この柔軟性こそが生物学の魅力であろう。